無辺世界

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短歌(1ヶ月前くらいの)


 自慰とどう違うのだろう真夜中にひとりで食べるハーゲンダッツ


短歌 21:35 comments(0)
USTといえば


 先日、歌人の枡野浩一さんと、枡野さんに顔がそっくりな漫画家の河井克夫さんが、お二人でUSTREAMで喋っていました。それがとてもおもしろかったので最初から最後まで聞き入ってしまった。

 いろいろと濃い話があったなかで、いちばんインパクトがあったのは、枡野さんが一緒にお仕事してきたなかでいちばん短歌のセンスがあるなぁと思った芸能人に、アッキーナ(南明奈さん)の名前を挙げていたこ
と。へぇぇえぇ!と思った。アッキーナが作った短歌は、枡野さんが今まで味わったことのない角度の歌だったそうで、「へえ、そういうふうに世界をみてるんだっていう、はっとさせるような角度」だったそうです。しかも「ここはこうしたら?」って指導したとこもうまく直すんだって。アッキーナの詠んだ歌、見てみたいなー。ぜんぜん想像がつかない。こういう意外性っていいな、たのしいなと思う。

 USTの後半は聞いていてせつなくなるような話が多く……。「短歌の仕事こなくなっちゃった」とか就職活動しているとか、「さわやかな青春小説かいてくれ」って言われるとか、「いちばんやりたい仕事はゴーストライター」とかその他諸々。でも、今月の15日には『結婚失格』が文庫で発売されるようで、わたしはすごくたのしみです! 単行本のときから欲しかったけど、書店で出会うたびに手にとってはうなって迷って買わずに今日まできてしまったもので。文庫版にはかなりえぐい解説(主人公を全否定しているらしい)と、枡野さんの新作短歌30首がついているというのだから、なおさら文庫化うれしいよ。

 ちなみにこの日のUSTREAMは、枡野さんの「もうこんな時間?そろそろ行かないとね、二丁目に」という言葉でお開きになりました。たのしかったです。


短歌 21:59 comments(0)
短歌


 この冬はあと何度見られるだろう メールのように受けとめる雪


短歌 23:03 comments(0)
笹井宏之さん

 今日は志村さんの月命日でしたが、昨年亡くなられた歌人の笹木宏之さんの一回忌でもありました。わたしは、もちろん面識はありませんでしたし、歌集を購入したのも笹井さんが亡くなられた後でした。すてきな歌を詠む人だなぁと遠くから見ておりました。


  えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい

  からっぽのうつわ みちているうつわ それから、その途中のうつわ

  風という名前をつけてあげました それから彼を見ないのですが

  あたたかい電球を持つ(ひかってたひかってました)わかっています

  「雨だねぇ こんでんえいねんしざいほう何年だったか思い出せそう?」

  内臓のひとつが桃であることのかなしみ抱いて一夜を明かす

  「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい

  真水から引き上げる手がしっかりと私を掴みまた離すのだ

  集めてはしかたないねとつぶやいて燃やす林間学校だより

  レシートの端っこかじる音だけでオーケストラを作る計画

  それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした

  (ひだりひだり 数えきれないひだりたちの君にもっとも近いひだりです)

  両親が出会ったという群青の平均台でおやすみなさい

  一生に一度ひらくという窓のむこう あなたは靴をそろえる

  みんなさかな、みんな責任感、みんな再結成されたバンドのドラム

  美術史をかじったことで青年の味覚におこるやさしい変化

  思い出せるかぎりのことを思い出しただ一度だけ日傘をたたむ

  ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす

  「1500円になりたてですよ」って自覚する間もないカレーたち

 
 ― 笹井宏之『ひとさらい』より。 


短歌 17:44 comments(0)
短歌


 ほろほろとクランチチョコを分けあって 数かぎりある歌をうたって
 

短歌 23:28 comments(0)
即席短歌


 いつかさびしくて死んでしまう夜のため温めておくオニオンスープ


短歌 07:13 comments(0)
ほわああ!

9月4日(金)

今日もBase Ball Bearのニューアルバムを聴く。
「レモンスカッシュ感覚」もいけない曲だ。サビの部分のリズムが癖になる。
いつか歌いだしてしまうんじゃないかとはらはらするほど、
仕事中、脳内を旋回してました。ぐるんぐるん。

短歌について書かれたサイト・ブログを見てまわる。
穂村さんについて詳しく書かれている記事に出会った。


「一方で穂村弘の歌評は私の知る限り現代日本の歌壇においては    
一番といってもいいほどの深さと知性にくわえて優しさを持っている」

三日月の記録:「穂村弘」を考えてみる
http://blog.livedoor.jp/ichijiku1/archives/50021446.html

と書かれていて、
((ほわああああ!そうだよね!そう、そうなんだよ!深さと知性と優しさ!!))
と、異様にテンションがあがる。    


いつも勉強させてもらっている「トナカイ語研究日誌」さんでは、
今回は正岡豊さんについて。


「枡野浩一が正岡から強い影響を受けながら、あえて情報の欠落による詩情を生み出す手法を排したのは、作風以上に正岡の作歌思想に共鳴を受けたがゆえに後追いの手法ではいけないと感じていたからなのかもしれない」

トナカイ語研究日誌:現代歌人ファイルその48・正岡豊
http://d.hatena.ne.jp/yamawata/20090902

と書かれていて、
((ほわああ!そっか、枡野さん!ああ、そうなのかも!!なるほど枡野さん!!))
と、くどいくらい納得して感動してまた胸が熱くなった。

そして今日いちばんの一首はこれ。
悲しみは一つの果実てのひらの上に熟れつつ手わたしもせず (寺山修司)


短歌 23:07 comments(0)
即席短歌3首


 うららかにショパンを弾けば真後ろで犬があくびを父はバナナを

 星じゃないなにかをみてたペルセウス座流星群のふらないよるに

 泣くための本ではなくて涙腺をぶちっと断ち切る本をください



短歌 11:33 comments(0)
夏のうた


 初夏にとどいた結婚報告は切手がすこし曲がっててきれい

 朝顔の苗もたされて帰るから今日は死なないような気がして

 沈黙も音楽である さっきからまるで動かぬ入道雲よ

 しんしんと塩ふりかけてここにいないひとをおもって齧る、あかい


 ※ 初夏→はつなつ
 

         


 先日の自動販売機のうたに続いて、「夏」というお題をもらったのでつくりました。今回はわたしだけでなく、お題を出したたじまくんも、そして共通のブログ仲間であるshinkaoさんも夏の短歌に取り組みました。個人的には、自動販売機の方はわりと気軽につくっていて、今回の夏のうたは難儀しました。ちなみに、夏のうたと聞いて真っ先に思い浮かんだのは次のうた。

 あ かぶと虫まっぷたつ と思ったら飛びたっただけ 夏の真ん中 (穂村弘)
 
 そしてこの夏、たじまくんとshinkaoさんと3人でブログを始めることになりました。わーい。今のところ非公開。
 

短歌 23:29 comments(0)
「短歌はじめました。」付箋箇所一覧


 前の記事に引き続き、『短歌はじめました。』からの引用。
 
 ▼前回の記事はこちら:
 「短歌はじめました。」付箋箇所一覧
 http://septembersky.jugem.jp/?eid=504


 本書は、編集者・沢田康彦が主宰する歌会「猫又」に寄せられた短歌を、歌人の穂村弘・東直子を迎えて3人で批評していくという本。というと固い感じですが、座談会形式でとても読みやすいのです。前回の記事では感覚的に大事にしたいなあという箇所を並べてみましたが、今回はより具体的な箇所、実際に歌をつくる上で参考にしたい点を集めてみました。
 

穂村 常に歌を作るとき、そういう主観と客観のありようを念頭に置く癖というか、行動をはっきり示すということに対するためらいがほしいんですよね。たとえば、同じ沢田さんの歌、東さんは○印でとってらっしゃいますが、

 ○モーツァルトの長調さえもいやになる気抜けエドシック露に抱かれて
                                     沢田康彦

 ここにも≪さえ≫が出てますよね。これも致命傷にはなってないから、必ず当てはまるわけではないんだけど、でも一応そのとき、ここで≪さえ≫って書くってことに対する決断がほしいわけですよ。「さえ」は要注意なんだっていうことを理解した上で。
沢田 自意識が過剰に出ちゃうんですね。
穂村 そうなんです。つまり≪モーツァルトの長調≫は本来素晴らしいものだ、なのにそれ≪さえも≫っていう認識が出ちゃうんです。その認識は正しいんだけれど、詩を浮上させるときには逆効果になることがあるんです。(p.117-118)

 

◎○てのひらが溶けて流れる夢を見た今日はたくさん水を見たから
                                     ねむねむ

穂村 この歌、とてもいいですね。ただ、ぼくなら、上句の≪見た≫をひらがなにしたいですね。もしかしたら≪夢≫もひらがなにしたいかも。それは何を言っているかというと、同じ動詞が対置されるときに片方をひらがなにするというのは一種のセオリーなんですよね。(p.152)


 「さえも」など、自意識が突出してしまいがちな表現を使うときは要注意、同じ動詞をひとつの歌に複数回つかうときは、片方をひらがなにする。この2点、おそらくごく基本的なことなんでしょうが、この本で学ばせていただきました。感謝。


△ 誰にでも「かかってこい」と吠えながら己は誰にもかかってゆかぬ
                                     加藤賢崇

穂村 これ、面白いんですけど、ぼくだったら最初の≪誰にでも「かかってこい」≫を、「誰からだかかってこい」と全体をセリフにしたいですね。というのは、≪誰にでも≫という表現にはちょっと覚醒感があるから。こう言うと最初からフレーム……一首の全体像が見えてしまうという気がして。冷静なスケッチというか。(p.170)


 たしかに! “誰にでも「かかってこい」”よりも、“「誰からだかかってこい」”のほうが意外性があって、歌として活き活きとしている。こうしてパパッと改良案を提示できてしまう穂村弘にあらためて惚れ惚れしてしまった箇所です(ずいぶん個人的なアレですが)。覚醒感のあるフレーズは自分もつかってしまいがちなのでもっと自覚しなくちゃと思いました。

  

  翌朝に鏡を見てはあらためて飲み過ぎ気づく黒いくちびる    京

穂村 これは先にお話した、律儀すぎるとか、主観や認識を出しすぎるという問題に関わるということで、敢えて触れますね。この歌は事実そのままに近い表現だと思うんですが。短歌としては、詩的なところをクローズアップしたくて、散文的なところは抑えたいわけですよね。そう考えるとここでは≪あらためて飲み過ぎ気づく≫と言わなければならない理由が全然ないんですよ。
沢田 これは散文表現だということでしょうか。
穂村 はい。これは認識の提示にすぎないわけです。詩的には≪鏡≫の中に≪黒いくちびる≫があったということだけが重要なんですよ。それさえあれば読者は自然に≪飲み過ぎた≫のかとか、体調が悪いのかとかというネガティヴなことを考えるわけで、≪あらためて飲み過ぎ気づく≫と説明することでここから謎が奪われてしまう。だからこれをやるんだったら、たとえば「昨晩のグラスの響き蘇る鏡の中の黒いくちびる」ってふうにやるとか、とにかく下の句に「鏡の中の黒いくちびる」と決めちゃって、上の句を何かやりたいようにやるというのがひとつのセオリーでしょうね。(p.115-116)


 これも、いかにも自分がやってしてしまいそうなことだなあと思ってマークしました。情報をはぶきすぎると伝わらないような気がするあまり、詩としては説明的・散文的な短歌ができあがってしまう。でも、じゃあどうしたらいいのか。ひとりよがりな表現に陥ることなく、かつ散文としてではなく詩として成功させるって、わたしには難しく思えます。取捨選択、的確な情報の提示、その辺のサジ加減はどうすれば身につくのか。などと、うだうだ考えていたところ、次の引用箇所は有効なヒントになるのではないか、と思い至りました。最後の引用になります。


穂村 優れた短歌には普遍的な共感を提示するために、必ず一ヵ所しぼりこんでる部分があるっていうことなんです。

 ・砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね    俵万智

 この歌のしぼりこみ部分は≪飛行機の折れた翼≫ですね。別に何を埋めてもよかったんでしょうが。これが初心者だと、
 「砂浜に二人で埋めた桜色のちいさな貝を忘れないでね」
 みたいになりがちです。
沢田 なるほど、砂浜に思い出の貝を埋めるのは、常套のイメージですもんね。けれど、それじゃインパクトがない。何も残らない。
穂村 実際に、砂浜に二人で貝を埋めたという体験があった場合に、それはなかなか疑えないというか、まず事実だし、現に大切な思い出だという感情がある場合、そこは動かすことがなかなか難しいと思うんですよね。でも、それでは単なる日記になってしまう。「桜色のちいさな貝」を≪飛行機の折れた翼≫に置き換えてしぼりこむことができた時点で、やっとそれは表現になるんです。(p.224-225)

 
 この「しぼりこみ部分」のことを、別の言い方で「くびれ」と言っていた箇所もあったような気もするんですが、詳細失念。うまいこと一ヵ所ぐぐっとしぼりこめれば詩になり得るのかと、目から鱗でした。「砂浜に二人で埋めた」も「忘れないでね」も、いずれもナチュラルな散文調で、「飛行機の折れた翼」の部分のみに濃密な詩のエッセンスが込められています。

 穂村さんも仰っているように、「桜色の小さな貝を二人で埋めた」という実体験があってそのことを歌にしようとする場合、思い入れのある事実を動かすのはつらい決断だろうなあと思います。自分だったらどうだろうと考えると、やっぱり「単なる日記」に陥ってしまいがちなんだと思います。事実は事実としてそのままぶつけてしまう。

 でも、詠む側は「桜色の小さな貝を二人で埋めた」という事実が自分にとって特別だからこそ表現にしたいと思うわけで、それが「はたから見れば単なる日記」に終わってしまってはもったいないですよね。特別だから動かせないのではなく、特別だからこそ動かす、そうやって表現として昇華させていくんだなあということを考えました。


短歌 11:33 comments(4)
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