無辺世界

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言いたいこと
 
 本当に言いたいことを探すだけで人生が終わってしまいそうだ。いや、本当に言いたいことを言うために人生があるのかもしれない。ああ、わたしはこれが言いたかったのだと心から思える瞬間にたどり着くまでの、長い長い過程。

 いろんなことがどうかきちんと間に合いますように。


考えごと 04:27 comments(6)


 夢をもつ、とか、夢を叶えるとか夢を追いかけるとか、そういうのってよくわからないけれど、夢って、みずには生きられないからみてしまうもの、実はただそれだけのことなんじゃないか?

 と、さっきお風呂の中で思いました。

考えごと 01:13 comments(0)
自分探しを止めてくれ

 探しものは何ですか?
 見つけにくいものですか?
 カバンの中も 机の中も
 探したけれど見つからないのに

 まだまだ探す気ですか?
 それより僕と踊りませんか?
 夢の中へ 夢の中へ
 行ってみたいと思いませんか?


 ― 井上陽水「夢の中へ」より

      

探さないほうがいいってこともたくさんあるよね。

      

『自分探しが止まらない』のレビュー(一個前のエントリーです)を書くにあたって、思考を色々と膨らませてみた。

「本当の自分」という幻想に翻弄されることはないし、無闇に「自分の可能性」を追求する時期も通過できたと思う。

そこで考えたのは、
もし、今の私に探したい自分がいるとすれば…ということ。
 
見つかった答えは、また恥を噛み締めつつも抜け抜けと書いちゃいますが、それは「かけがえのない自分」。探してみつかるものならみつけてみたい。

      

「ひとりひとり違う種を持つもともと特別なオンリーワン」であるのはわかったけど、結局のところ自分自身の花の良さを実感できなければ意味がない。そして花ならば、他者にその良さを見出してもらいたい。自分で自分がオンリーワンだとわかったところで行き止まりなんだよね。だから他人に「かけがえのなさ」を見出してもらえたらと思ってしまう。

ただ、自分にとって大切な誰かにとっての「かけがえのない自分」でありたいなあと思う一方で、「とっかえの利く自分」になれるように生きていかねば!と思うことも多々ある。

「人材」という言葉が頭の中をくるくるまわる。その言葉はビジネスシーンを飛び超えて、個人的な人間関係においても潜伏しつつある。

「私と一緒にいることでこの人に何かメリットはあるのかな?」
「あああ!私と遊んだことで君にこんなにコストが!」
「付加価値をー!付加価値をー!」

と、考えてしまう瞬間がある。

いつもいつもそんな自虐的なことを思っているわけではないけど、ふと弱気になってしまうときってあるよね。


「ねえ、なんであなたは私と一緒にいてくれるの?」
「えみさん、それはね、あなたが私にとって、かけがえのない、優秀な人材だからです」


      

ぞぞぞ。

脳内自虐プレイが止まらない! 下手なもの探すよりは陽水(羊水じゃないですよ)と夢の中で踊っていたい。

ちなみにこの「夢の中へ」という歌、京都でお世話になったMがいきなり、もう何の前触れもなく、youtubeやらニコニコ動画やらでライブ映像を流し出したのでびっくりしたと同時に大爆笑した記憶がある。なぜにその歌!いいけど別になぜに突然その歌!

突然の陽水攻めの理由を聞くと、学校で友人が歌っていて、でもいいところで歌うのをやめてしまうので続きが気になったからだそうなんだが…。それにしても、一回聞けば気が済みそうなものを、Mは何度も何度も、年度やアレンジの違うものを見つけ出しては繰り返し再生させていた。執拗に。アハハー古ーい♪とか笑いながら。

そんな楽しい思い出のある曲。

      

「とっかえの利く自分」VS「かけがえのない自分」の摩擦で胸元ヒリヒリしませんこと? 私だけかな。

      

なれというなら、妹にでも姪にでもハートの9にでもなるけれど
(穂村弘)

考えごと 01:17 comments(0)
結婚観あれこれ

お昼頃、Dから電話がかかってきた。

転職活動に成功し、思いのほか早く職場を離れ、次の会社への入社日までぽっかり日が空いてしまって暇なのだそう。そんな有り余った時間に考えるのは、付き合っている彼女との今後のこと。

彼女に出会う前は「早く結婚して落ち着きたい」と言っていたDは、彼女との付き合いが安定すると「このままずっと一緒にいるんだろうなあ」と言い出し、そしていよいよ二人の将来を考えなければならなくなった今、「本当にこの人でいいのだろうか」と迷っている様子。

自分のお母さんが若くて美人で自慢のお母さんだったから、彼女にも若くしてお母さんになってほしい、その方が子どもはうれしいことを身をもって知っている。でも、今の彼女とすべてに置いて合っているわけではないから迷う、すべてに置いて合っている人などいるわけないってわかっているけど、でもどこで妥協したらいいのかわからない。子どもは欲しいけど、まだ自分のやりたいことを自由にやりたい気持ちもある。

などなど。かなりぐるぐるしている様子。

同世代の男性の本音を聞くのって興味深いし、参考にもなるけど、それが他人事と思えない場合、耳が痛い。

「男は奥さんが子ども産んだら、奥さんを女として見られなくなるって周りがみんな言うんだよな〜」

なんて言われたら、あーそうなんだ…と落胆してしまう。子どもを産んだら旦那さんから女として見られなくなるって、よく聞くありがちな話だけど、男性側から直に言われると結構刺さるものだね。

上にも書いた、本当にこの人でいいのかな?という迷いに対しても、「そうだよねえ、わからないもんねー」とやんわりと返しつつも、心のなかではグサッ グサッ グサッ!! 

つい自分の身に置き換えて考えてしまい、刺さるわー。

最近は彼女とは違うタイプの女の子と遊んだりして(浮気ではないそうだ)、ますます揺れているのだそう。でも彼女を失ったら辛いでしょ?と訊いてみるが、「わからない」とのこと。グッサー!付き合いがマンネリ化して、感覚が麻痺しているそうだ。

なんか自分のことのようにダメージを受けたのだけど…
それなのに…

「自分の気持ちがわからないなら、色んな子と遊んでみたら?」とあまりよくないアドバイスをしてしまう私。言いながら、「何言い出すんだろう駄目だよ駄目だよやめなよ」と思ったけど言ってしまったものは、もう…。

まあ、白いご飯の美味しさがわからなくなったら、パンを食べたりしてみるのもいいよね! 

ん? 食べちゃまずいか! 
じゃあ匂いだけでも…!

私は一体何を言っているのでしょうか。虚しさ1000%!

しかし、同世代で結婚とか考えている人って本当に偉いなあと思うんだよね。もう結婚しました!って人はもちろんだけど(周りにほっっとんどいない)。私なんて、自分自身の人生さえちゃんと歩んでいけるかどうか不安なのに、結婚だなんて…!

それに、今って恋愛からすんなり結婚に進みづらくなってるかと思うんだよね。昔と比べたら、結婚するかしないかの選択が自由にできる時代だからこそ、「結婚する!」って決められる人が少ない気がする。気がするだけ? 

結婚する「理由」みたいなのを発掘しなければいけない時代かなあ。なんて思ったりしました。お〜こわ。
考えごと 00:56 comments(2)
見たくないし踊りたくない人もいるバレンタイン

さっきのエントリーを書いて、でもちょっと待てよ、と思う。日本のバレンタインは女性が恋愛の運命を左右する鍵を握れるから楽しい!と思い切り女性目線で書いてしまったが、「女性が男性に」という男女二元論的な考え方がとてもよくない気がしてきた。昔、女の子同士でチョコを交換することを「レズチョコ」だなんて呼んでいたけど、それってだいぶよくないよね。今はたぶん「友チョコ」って言うんだよね(え?ちがう?)。視野を広げて考えるとデリカシーのないイベントだよね、バレンタインって。色々書いておいてなんだけど、少し悶々としてしまった。
考えごと 23:06 comments(0)
踊る阿呆になりたいバレンタイン

今日、用があってロフトへ行った。バレンタインの翌日である今日、さぞかしお菓子が安くなっていることだろう!と少し期待しながら売り場を散策。バレンタイン用の商品の売れ残りがあるはずの場所には、もう早速ホワイトデー用の商品がずらずらと並んでいて、バレンタインのバの字も見ることができなかった。

クリスマスシーズンのマスメディアの手によって煽られていくような雰囲気は苦手なのだけど、バレンタインはなぜか好きで、同じように商業的な匂いがぷんぷんするイベントなのに、バレンタインはなんで自ら参加しようと思えるのだろうと、我ながら不思議だった。少し理由を考えてみたのだけど、それはもしかしたら女子が引き金となれるイベントだからかもしれない(し、そうでないかもしれない)。

今となってはもう古い考えだけど、「女は俺の一歩うしろを黙ってついて来い!」と言うような男性がいたり、女性は奥ゆかしくあることが良しとされる風潮があったりで、女の人が堂々と(堂々と!)恋愛の主導権を握るきっかけのようなものって、時代を遡れば遡るほどあまりなかったのではないだろうか。

女性が強い!と言われたりしている今の時代だって、職場などの社会的な現場を離れれば、女だからと言う理由で男の人に遠慮している女性って結構いる。遠慮というか、あえて男の人より一歩下がることで、自分の女性性を保つことに満足している人もいるのではないか。例えば、プロポーズはまだ男性からするものだとされている…かどうかはよくわからないけど、多くの女性が「プロポーズはするよりされたい!するよりされるのが普通!」と考えているのではないかと思う。他には、例えば「彼氏に奢ったりしていいものか」という疑問や、「自分からがっついていくなんてやっぱり下品かなー」という不安だったり、とまあ細かい例を挙げていけば尽きない。

男性優位の神話がどうとか、そういうのがまだ根づいているからかもしれない(し、そうでないかもしれない)。ともかく「女の方から○○するってどうなの?」という感覚が恋愛の現場に多く存在することを前提に考えると、バレンタインってちょっと凄いイベントだと思うのだ。

日本におけるバレンタインは、一般的に、女性が男性にチョコレートなどのお菓子や、贈り物をするというイベントである。要するに、バレンタインデーとは、女の人がチョコ持って大暴れできる年に一回のお祭りなのだ!大義名分つきの!

普段の私は勇気がなくてとても告白なんて…と縮こまっているシャイガールも、バレンタインというお祭りの空気に流されてあやかって乗っかって思わず気持ちを伝えちゃったりなんかして、うーん、イイジャナイ!

と、書いているうちに熱くなってしまったが、ともかく自分が運命を左右できるかもしれないというワクワク感や、してやったり感が楽しいイベントだと思うのです。必ずしも女性が男性にチョコレートを贈るという習慣である必要はないのだろうし、男性が女性に贈り物をしてもいい日だとは思う。でも、そうなってしまったらクリスマスと同じような空気になってしまうんだろうし、それはちょっとつまらないなあ。

つまらないと言えば、日本のバレンタインの習慣で本当につまらないと思うのが「本命」と「義理」の二分化。本当に義理であげなければならない状況もあるだろうが、それ以外の場合において、「本命じゃなきゃ義理なんでしょ」というような扱いをされてしまうのはちょっとあげ甲斐がない。だいたい、「本命」って言葉がもう、なんか、ねえ。命って…。

「本命」の人がいてもいなくても、自分にとって特別な人、お世話になっている人、すてきだと思う人、単純に喜んでもらいたいから、理由はないけどあげたくなったから、など、様々なきっかけがあって、形になったり形にならなかったり、届いたり届かなかったりする。何かが変われば、少しすてきだね。
考えごと 21:58 comments(0)
思わせぶりな態度、どう思いますか?

先日、女子数人で開かれた会合にて、ある一人の女子の色恋を検証することになった。自他共に認める「純」な子で、恋愛には奥手なタイプ。その子に最近気になる男の子ができて、話を聞いていると男の子側もその子に気があるような素振りを見せているようだ。恋に発展する望みは薄いようなことを彼女は言っていたが、その男の子から彼女宛てに送られてきたメールをちょっと見せてもらったところ、「え!この子も絶対あんたのこと好きだって!」という意見で場内は一致した。私もメールを見てにやけてしまった。

そのメールが具体的にどんなものであったかは忘れたが、彼がその子に何らかの好意はあることはたしかであろうと感じた。そして、私自身があんなメールを気になっている人からもらったら一発で落ちるだろうなあとも思った。

でも冷静になって考えてみると、「好意的なメールを送る=好き」とは限らないことに気づく。彼はもしかしたら、好意的なメールを送ることによって女の子が自分に好意があるかどうかを探っているのかもしれない。と言ったら皆に「うーん」という顔をされたけど。どんなアプローチをされれば相手が自分を好きか、判断基準などどこにもない。仮に相手が自分を好きだったとして、その好きが恋愛なのか友愛なのか、明確な境界線など誰が引けるだろうか。極端な話、100万回「好き」と言われたとしても、相手の気持ちに直に触れることはできないのだ。

では、好意的なメールを送りつけてきた彼の本心が恋心でなかったとしたら、「まあ、思わせぶりな人ね!」ってことになるのだろうか。好きじゃないのに相手の気持ちを自分に向かせるようなメールを意図的に送ってしまうのなら、それは「思わせぶりな行為」と言えるかもしれない。ただ、彼がそのメールを送っている時点で、女の子に興味があることはたしかなのである。その子を好きになるかもしれないという気持ちでメールをしていたとして、でも、結局気持ちが恋には発展しなかったとして、彼の一連の行為をどう受け止めるかは受け手の自由だ。期待するのも裏切られたと思うのも受け手であるその子の勝手、その子の自由である。

「彼のメールが思わせぶりだったとしてもいいじゃん!別に楽しんどけばいいじゃん!」と言ってみたら、「そういう考え方もあるのかー」という反応が返ってきた。好意、あるいは興味というまあるいものがそこにある。それだけで、よいではないか。

私自身は思わせぶりな態度を取られても別に嫌な気はしない。結果的に良い関係に発展しなくても、自分自身が舞い上がってただけだったとしても、勘違いしている期間が楽しければそれでいい。「利用してやろう」とかそういう悪意や魂胆が明らかに見え見えならば別だけど。そんなんなら引っ掻いてやりたくなるけど。でも、いい夢みさせてほしいのさ。「友だちとしては好きだけど…」なんて言葉、誰が聞きたいか。そんな言葉を言わなきゃいけないくらいなら何も言わないで曖昧にしといてほしい。夢くらい見させろ、ボケ!!

と、思うのは私だけだろうか。どう思いますか?

食べ物だって味見をしてみないとおいしいかどうかわからない。長く楽しんでいたい「おいしい」もあれば、一口で飽きてしまう「おいしい」もある。出会いは色々、一口齧って「うえ、まっずー」って逃げ去って行く方だって時にはいるだろう。噛めば噛むほどおいしい人間になるにはどうしたらいいんでしょうね。
考えごと 03:20 comments(4)
綺麗事と言わないで
誰かが甘く誘う言葉に もう心揺れたりしないで
切ないけど そんなふうに 心は縛れない
小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」より


一昨日の夜、とよちゃんに「もしも自分の彼氏に、自分の他に好きな女の子ができたらどうする?」と訊かれました。私は、「それは可能性として充分あり得ることだし仕方ないことだと思う」と答えました。たぶん、それで怒ったりはできないなあ、と。そこで別れたくなるかと言ったらそれもまた別問題で。そこは私次第じゃなくて相手次第でしょ?だって、彼氏とその女の子との繋がりは、彼氏と私との繋がりと全く関係ないわけでしょ?と思ってしまうから。そりゃ泣くかもしれません。せつなくて耐えられないかもしれません。だけど、その涙とせつなさが、いったい彼に何の関係があるんだろうと思ってしまうのです。この感覚は付き合う相手がどんな人でも変わらないだろうなあと思います。

「浮気したら絶対許さない!」と強く言う女子はわりと多いと思いますが、私は「浮気」を「許す・許さない」という感覚がいまいちよくわからないので共感できずにいます。浮気をされて傷ついた経験がない(単に気づいていないだけ?)から共感できないのかもしれませんが。「浮気」を「許す」という思考は、「相手の心身を彼女である自分が所有できる」という感覚を前提に成り立っていますよね。あるいは「相手の心は今もこれから先も自分の方だけを向いているはずだ」という前提。私はどうもその前提となる感覚を持てないので、「浮気」を「許す・許さない」という思考へたどり着かないのだと思います。

人の心なんてうつろいやすいものを支配することは不可能です。自分の心でさえ、明日はどうなっているかわからないのに、他人の心なんてつかめるはずがありません。そう思ってしまうところに私の冷たさがあるのかもしれませんが。だからって浮気に対して寛容でイイネ!なんて思われても困ってしまうのですが。でも、俺は浮気心を1%も持ってないぜ!と豪語する人(そんな人いればの話ですが)がいたら、かえって、私はその人のことを信用できなくなると思います。

一方で、「浮気したら絶対許さないからね!」って言える人が羨ましくもあるんです。そんな風に言えるってことは、その人に深く関与しているということだから。彼氏側としても、自分が浮気してるのに彼女が平然としてたら、それはそれでちょっと嫌でしょう。「許さない」なんて言えてしまう強さと傲慢さと確かさと健全さを羨ましく思うこともあるのです。でもやっぱり私は「許す・許さない」の前に「仕方ないよね」って言ってしまうタイプの生き物であり続けるような気がしています。

好きな相手には自由でいてほしいし、自分の側では安心してほしい。彼氏とかじゃなくても、それが好きな人であれば誰に対してもそう思います。綺麗事にすぎないですけど。いい子ぶってんじゃねえよ!って感じですけど。まあ、理想ではあります。

「許さない」と瞳(め)が笑ってるその前にゆれながら運ばれてくるゼリー (穂村弘)

とよこはどうするんだろう。訊いておけばよかったな。
女子はもしもの話がだいすきです。
考えごと 03:05 comments(11)
自分でもうんざりするほど長い、離婚の話。

一週間くらい前の話になるけど、湯船に浸かりながらぼんやりしていて、ふと気づくと「離婚」について考えを巡らせていた。思考はまず、離婚をタブー視する風潮はもう終わったのかな、というところから始まる。

ついこの間まで勤めていた会社の上司が、どうも奥さんと別居しているらしくて、そのことをおおっぴらに語っていたのである。普通に話していた。「今かみさんが実家帰ってるんだけどな」って。一昔前なら、社会で生きるうえで、結婚しているということは男性にとって一つのステータスであり、奥さんと別居しているなんてことは決して公にしたくはない事情であるはず。奥さんと離婚した、なんて日には、社内中ひそひそ話のオンパレードで気まずいことこの上ないはずだ。

上司のそんな一言があり、ああ噂どおり、日本も離婚しやすい社会になっていってるんだなーなんて、私は思ったのだ。まあ、一人の上司の例しか見ずに物を言っているので、「いやいやまだ離婚は世間的に気まずいよ!」という反論も多いだろう。私が勤めていたあの職場がちょっとした異端で、あの上司がかなりアウトローな上司だったから、家庭の不和まで会話に及んでいただけなのかもしれない。大企業などではまた事情が違うのかも。

それにしても不思議だったのは、職場に何かしらの「家庭の不具合」を抱えた人が多かったことである。そして皆それをさらっと会話に盛り込むのである。両親が離婚している、とか、親と何年も連絡をとっていないだとか、両親が不仲であるとか。あと若いうちに兄弟を亡くしてしまっている人もいた。家庭円満な人も、家族についてほとんど語らない人も、それはもちろんいたけどね。でも不思議だった。語る人は皆、なんでもないことのように語るから。件の上司は、会う度に「離婚は今の日本じゃ珍しくないからね」「俺は別に離婚したっていいんだよ」って言っていた。会う度に。まるで何かを主張するように。ああこの人も本当は寂しいのかな、と思った。

私がかつていた職場が一般的かそうではないかはさておき、日本の離婚率は昭和に比べたら明らかに上昇しているので、珍しくなくなってきているという意味では「離婚しやすい社会」になってきていることは間違いないだろう。でもなあ。世間がどれほど離婚に寛容になったとしても、「離婚したくてもできない夫婦」というものの絶対数は減らないんじゃないかと思うのだ。

         ◇

たとえば、家族というものが大海原に浮かぶ一つの船だとしよう。「円満な家庭」という船は、きらきら輝く太陽の下、ゆったりと浮かんでいられる。たまに嵐が襲ってきても、なんとかして乗り越える。

夫婦が離婚の危機に陥るということは、船に大きな穴が空いてしまうことだ。修復可能な穴ならばよい。でもそうでない穴もあるだろう。今にも転覆寸前の船というものもあるだろう。そんな船に乗ったまま皆で沈んでいくならば、「離婚」という行動に移った方がいい。皆がそれぞれの小船を用意して、それぞれに漕ぎ出して、それぞれに幸せになれることもあるだろう。その方が一斉に沈んでしまうよりはいいだろう。

でも、夫婦が離婚の危機にあるからさあ皆さん小船を用意して、ハイいってくださいって、そんなとんとん拍子で事が進む家庭ばかりではないはずだ。離婚し損なって、軋轢を放置したまま進み続けていく船もあるだろう。結婚はタイミングが重要とはよく聞くけども、離婚もそうなのではないかと思う。その根拠は、と言われたら困ってしまうのだが、なんとなく、「離婚は結婚の100倍疲れる」とよく聞くので、気力や勢いなど充分ではないと、そうそう離婚へなんて踏み出せないのではないか。

だって、離婚するということは、今まで乗っていた船を降りて、たった一人で海に身を投げ出すようなことなのだ。とても勇気がいることだと思う。まあもしかしたら別の船を用意して待っている誰かさんがいるのかも知れませんが…そんな例はさておき。自分ひとり沈んでしまうかもしれないなら、皆で沈んでいったほうがましだと考える人もいるかもしれない。精神的な弱さにより、離れられない家族…こういうのって共依存って言うんだっけ。案外多いのではなかろうか。

また、一見船は安定して見えるのに、船員の中で自分だけが不満を抱えている場合はどうだろう。自分以外の家族は平和な景色を見ている。問題なく進んでいる船にわざわざ自分で穴を開けてひとり飛び出す勇気はあるのか。そこまでして自由になる勇気はあるのか。自分が降りたら船はどうなってしまうだろう。かといって、船に乗ったまま自分はどうなってしまうのだろう。自由は孤独か。孤独は自由か。我慢して船に乗っていたほうが身のためなのか。

かすかに傾きながらも進んでゆく船は、いったいどこへ向かっているのだろう。どこにたどり着くのだろう。

         ◇

重々しい話を随分と書いてしまったけど、こんな話、
面と向かって人としたくなかったのでつい書いてしまった。
うーん、暗い!そして長い!

私は結婚より駆け落ちの方がいいし、
家族よりはバンドをつくりたい。
寄り添って歩いていけないような恋人なら、
一緒に逃げてくれる共犯者がほしい。
うーん、2008年初の問題発言か。

絶対的にハッピーな自分になれ!
そうでないと子供も産んではいけないよ。

子供よりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」 (穂村弘)
考えごと 23:49 comments(2)
母の教え
昔から私を知っている人ならすぐに納得していただけると思うけど、私は結構なマザコンである。何かに付けて「うちのお母さんがね」って口にしていると思う。私の母に対する執着心は、でも、一般的なそれとはちょっと違っていると思う。母を母として好きというよりも、人間として、同じ女として気になる存在なのだ。生まれてから今日まで、いや、生まれる前からずっと付き合いのある母だけど、彼女はいつまでたっても私にとって解明不可能な他者なのである。

母は教育熱心なところがあって、幼稚園に上がる前の私に難しい漢字をゲーム感覚で覚えさせようとしたり、ピアノの練習も付きっ切りで見てくれたりしていた。母に教わったことで今でも具体的に覚えていることがいくつかある。「人にされて嫌なことはしないように」だとか、「他所様の家に上がったら必ず靴は揃えなさい」だとか、あとはごく基本的な食事のマナーだとか。どれも、どんな家庭でも教わりそうなごくごく基本的なことである。

けれども、私が中学校に上がり、ある程度話の聞ける人間になっていくにつれて、母の教えはどんな母親でも子どもに教えようとする一般的なものから、母なりの教訓へと変わっていった。「手に職をつけなさい」とか「時間にだらしない男はお金と女にもだらしがないのよ」とか。中でも、いちばん強烈に残っている教訓は次のものである。

  自分がさみしいときに優しくしてくれる人がいると
  それを愛だと思ってしまうかもしれないけど
  それは勘違いだから 愛ではないから気をつけなさい

いつ言われたんだっけなー。中学か高校のときであることはたしか。なぜそんなことを思春期真っ只中の娘に教えようとしたのか、母の真意は全くもってわからない。自分がさみしいときに優しくしてくれる相手の優しさの動機が愛ではないと言いたいのか、さみしいときに優しくされたことにより自分自身に湧き起こる感情が愛ではないと言いたいのか、どちらであるのかもよくわからない。今言われたとしてもぎょっとしてしまう台詞であるが、当時の自分はこのよくわからない教訓をどのように呑み込んだのだろうか。呑み込めなかったから今でも思い出してしまうのだろうか。母はもう何も教えてはくれない。

母さん、恋愛ってやっぱりよくわからないよ。他人の懐に安心して飛び込んでいくことができない。だからせめて相手には甘えてほしいと思うんだけど、それもあまりうまくいかないみたい。向いてないのかな。母さん、あなたもあまり向いてない人だったのかな。
考えごと 11:20 comments(6)
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