無辺世界

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言語能力に欠けるということ


 春日武彦『不幸になりたがる人たち』(文春新書)を読んでいて、とても身につまされたところ。
 

 こういったことを前提とするなら、以下の二点を考えることが可能となる。すなわち、自分の気持ちや考えを首尾よく表現する語彙や言語能力を持てなかった者は、常に社会との間に違和感を覚え、それが苛立ちとなってきわめて短絡的・直情的・衝動的な人間となる場合もあれば、むしろコミュニケーションの成立をあきらめ、それがためにひどく無気力かつ得体の知れぬ人物と周囲から思われるようになる場合もあるということ。もうひとつは、自己表現という文脈で自分の代理となってくれるような人物が見つかったとするなら、それがロック・スターであろうと詩人であろうと俳優であろうと教祖であろうと、あるいは知人であろうと、その人物へ強く思い入れをしたり、執着することが容易に予想されること。以上の二点である。(p.107)


 二点とも自分に当てはまるところがあるが、特に二点目の特定の人物への執着については、まさに自分のことだと思わされた。その後、著者は「語彙が貧弱で表現能力が拙いことは不幸の中でもかなりグレードが高い筈」と言い切っている。グレードの高さについては、わたしはわからないが、言語能力に欠けることが不幸なことであることは実感としてわかる。
 

若い女の子たちが何でもかんでも「カワイ〜」と嬌声をあげるのは、実際にそれが可愛いと思っているのではなく、とりあえず発するべき言葉としてそれしか手元にないからである。もっと微妙なニュアンスを語ったり、適切な言葉で友人たちと語り合いたいのにその能力がない。だから陳腐な感嘆詞を連発しつつ、騒ぎ立てるのである。楽しげな表情をしてはいても、そこにはもどかしさや苛立ちや無力感が重ね合わされている。能天気に見えても、彼女たちにはどんどん鬱屈したものがたまっていく。(p.109)


 そうだ、鬱屈したものは確実にたまっていくのだ。何年もブログというものを書いていて情けないことだが、いまだに手持ちの言葉が少なすぎる。気持ちをかたちにするための言語を、早く習得しなければと思う。早く、と言いながらも長い時間をかけてこつこつ磨いていくしかないことはわかっているが、怠けている余裕はもうないのだ。磨こうとしないと、ますます鈍感に、そして無気力になっていく。


ことば 10:47 comments(0)
ふたりのチョコ



   ふたりのチョコ

   チョコレートを
   ひとつ食べたら
   となりのチョコレートも
   もうひとつ食べよう。
   ふたりなら
   おなかの中でも
   さみしくないよね。



 『まるむし帳』という詩画集に収録されているさくらももこさんの詩。

 さっき、お風呂であたたまっていたら突然この詩のことを思い出しました。ほんとに、なんの前触れもなく突然。思い出したら気持ちがなごみました。どんな時もこの詩をおなかの中にいれておきたいな。そう思って、急いで書き留めています。こうして突然、ことばのほうからつかまえてくれることもあるから、だからやっぱり、日頃から本を読んだり詩集や歌集を開いてみたり、そういうことを、これからもたくさんたくさんしていこうと思いました。

ことば 02:26 comments(0)
励みになることば


 Google ブックマークを整理していたら出てきたよしもとばななさんの言葉。公式サイトの日記(2002年11月7日)から。

 夢を現実にする、というとえらくかっこいい感じがするが、それはたいてい毎日毎日の積み重ねを楽しく、したいことをしながらも、何回も不安にうちひしがれつつ、ただただ一歩ずつやっていくことなのだと思う。

 一字一句、ほんとうにその通りなんだろうなぁと、ずしんと響く。そういえば、少し前に読んだ『海のふた』でも主人公が同じようなことを言っていた。「夢をかなえるだのなんだのと言っても、毎日はとても地味なものだ」って。不安からは逃れられないものだと思う。どう生きたって不安が付きまとうのなら、小さくてもいいから夢をもって生きたい。積み重ねを楽しくか。なるほどなあ。


ことば 00:48 comments(0)
印象に残ったこと


 理想の高い人物は、どうしても一時、孤立せざるを得ない工合になってしまうものらしい。淋しいから、不便だからと言って、世の俗悪に負けてはならぬ。
 
 太宰治「正義と微笑」より。

 それから、空中キャンプさんの6月2日付の記事がおもしろかったです。はてなユーザーじゃないからつけられないのが残念(って思うことはしょっちゅうある)。なので、代わりにここにリンクを貼ってみる。
 
 静岡にいったことはありますか
 http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20090602#p1

ことば 00:14 comments(4)
「あるのは詩だけなんだよ」

 
 春日武彦との対談集、「文藝」での特集、最新エッセイ『整形前夜』と、このところ立て続けに穂村弘の新刊書を読んでいて、脳内が混み合ってはうれしい悲鳴を上げております。そろそろとっちらかった脳みそを整理する時期にやってきたと思うので、この場を借りて少しずつ、自分が感じたことを把握していきたい。

 まずは、春日さんとの共著『人生問題集』から、この部分を。


 詩人の眼差し

穂村 僕はよく「どこまで本当なんですか」と聞かれるんだけど、これは屈辱的なことで、彫刻家や作曲家だったら、作品のどこまでが本当かなんて絶対聞かれないのに、言葉で書かれているだけで、本当かと問われる、それはなぜなのか。つまり、言葉に先立って世界があるという錯覚があるわけ。まず世界があり、そこに感動が生まれ、その感動をツールとしての言葉で表現するものだと思い込んでいる。

春日 レポートするということね。

穂村 そう。でも、そんなバカなことはなくて、言葉には独自の自発性があって、心の中で書こうと思ったことを、ある技術に則って精密に表現しているわけではない。初めに不定形のエネルギーの塊があって、それが言語的に表現される過程で"意味の汚染"を受けているだけなんだよ。きれいなモザイク模様の絵の下には、実はウニュウニュウニュと糊が絞り出されていて、言語の自発性はその糊みたいなものなのに、糊が先に出ていることは無視されている。その方が社会秩序の運営上、都合がいいんだろうけどね。僕は新聞記事なんてものも本質的にはないと思っている。あるのは詩だけなんだよ。

 ― 『人生問題集』 問題XI ことば p.177より


 『人生問題集』には興味深いページがたくさんあるけれど、自分にとって最も重要な箇所をひとつだけ挙げるとすれば、それは今引用した部分になるだろう。「僕は新聞記事なんてものも本質的にはないと思っている。あるのは詩だけなんだよ」というところに感動。この文に打たれたことが自分のなかでは大きい。

 ただ、「きれいなモザイク模様の〜無視されている」の部分の意味をきちんと噛み砕けずにいて、そこだけ少しもやもやしている。「言葉の自発性」ということばについては理解できているつもりなんだけど、「モザイク模様の絵の下の糊」というところで一気にわからない。ちなみに、「無視されている」の「無視」には「いんぺい」と、ルビがふってありました。

 と、このように、まだメモの範囲内でしか語れないのだけど、ここで引用した箇所はきっと別の記事でも活用することになるので、メモのなかでも大事なメモなのでした。

ことば 04:34 comments(5)
日常に潜むポエジー


 録画されていた昨日の「ゴチ」(ぐるナイ)を見ていたら、思わぬところにポエジーって潜んでいるんだよなぁということを、ふいに思い出させられた。何気ない会話のなかに、詩的なことばが潜んでいたりする。日常のなかのポエジー。これに関しては、穂村弘と一青窈の対談の一部に、わかりやすい具体例がある。 

穂村 そうそう、こないだ、菊人形展に行ったんですよ。菊の花がいっぱいあって、すごい数。そこに中学くらいの三人連れの女の子が来てたんだけど、一人の子が「これ全部菊かもしれないんだって…」って言ったんです。そしたら友だちが「“かもしれない”じゃなくて菊なんだよ!」って。(笑)「だって菊人形展って書いてあるじゃん」って言うわけ。で、言った子は黙っちゃったんだけど、僕、そのとき「これ全部菊かもしれないんだって」っていうのは詩だと思ったの。
一青 うん、うん。
 
一青窈×穂村弘 対談 
『広告批評』 2006年3月号 特集「歌のコトバ」 より。

 たくさんの菊に囲まれているという状況があまりに非日常的で、信じられなくて、思わずもらした「菊かもしれない」という言葉は、たしかに詩的だなあと思う。

 わたしも一度だけ、似たような感覚に陥ったことがある。渋谷のとあるパスタ屋さんにて、友人が海外へ行った際に撮った、たくさんの風景写真を眺めていたときのこと。現地の雰囲気やそこで起きた出来事などを、写真を一枚一枚見せながら、友人は実にたのしそうに語るので、わたしはすっかりその“写真のなかの世界”に魅せられていた。そして、ある一枚の写真に行き着いたときに、わたしは思わず「写真みたい」とつぶやいていたのだ。

 写真みたいって。 写真なのに! 写真なのに! 

 残念ながらどの国の風景だったかは失念してしまったのだけど、その写真は、オレンジが路上で売られている様子を写した静かな写真だった。静かな写真だったけど、荷台にたんまりと積まれたオレンジの迫力には、何とも言えない臨場感があったのだ。写真は生きていて、今にも現地の匂いを嗅げそうだった。

 それならば「写真じゃないみたい」って言ってしまいそうなものだけど、不思議なことに、そうはならなかった。菊人形展で、少女が「全部菊なんだね!」ではなくて、「全部菊かもしれない」と口走っていたことの不思議と、勝手ながら近いものを感じる。そして、この種の不思議のことをポエジーって呼ぶのかな、なんて、ぼんやりと思う。

 友人の語り口と写真の生々しさに惹き込まれ、わたしは、現実世界を忘れてしまったのだ。あの時、わたしはどこにいたのだろう。あの一瞬のトランス状態と、直後の陶酔感は今でも忘れられない。あれは貴重な体験だったなあと思う。

 なぜ、ゴチを見ながらポエジーについて考えさせられたかと言うと、ナイナイの岡村さんが仔羊を使ったイタリア料理を食べながら、「お肉みたい」って言ったのだ。びっくりした。たしか、「お肉じゃん」って誰かにつっ込まれてたと思うんだけど、その辺の記憶はあやふや。よっぽどおいしかったのだと思う。

ことば 21:55 comments(2)
守るものは護るさ

   

空気は冷たく、だけど晴れやかで気持ちの良かった昨日の昼下がり、友人とよこと千葉のスタバでゆるゆると会話を楽しんでいました。両隣をリクルートスーツ姿の一人客で固められた私たちは、二人して上半身マスタードイエローで「似たような色着てるね」「ほんとだね」とへらへらしながら向かい合い、お互いの近況を語り合う。

とよこは夢中になれるものを見つけたようで、前に会ったときよりもずっとすっきりした表情をしていました。何かひとつ大事なものを見つけても、それを守り通すのってすごく大変なんだよなー。

いつだったか誰かが(たぶん大学の先生とかそういう誰かが)、「仕事や結婚などに関して女性の選択肢が増えて、今の時代は恵まれていると言えるかもしれないけど、選択肢が増えるということは、その分迷ったり悩んだりすることも増えるということよ」と言っていた。もっとも、価値観の多様化がめざましく色々な生き方が尊重されつつある一方で、確固たる保障が見えず不安定な今の日本では、迷ったり悩んだりする機会が増えたのは女性だけでないはずだ。

ほんとうに、ほんとうに、色々な生き方がある。だから、自分なりの生き方を考え、それを守り通すことが自分の幸せにつながっていく。でも、そんな時代だからこそ、色々な生き方があるからこそ、自分の生き方が自分にとって正しいかどうか、見えにくくもなっている。最近そんなことをよく考える。

そんな時だったから、とよこのある一言が、とても耳に残った。

 自分に正直にならないと逆に人に迷惑かける

ああ、そうだなあ、そうなんだよなあと、思った。身をもって語られる言葉の、色の濃さよ、その強度よ。それまでの話も一定の興味を持って受け止めていたけども、この言葉が妙にくっきりと印象に残っている(一字一句あっているかは保障はできないけど!)。

これから先、色々な生き方をする色々な人が色々なことを言ってくるだろう。雑誌やネットを開けば、色々な言説が目に飛び込んでくるだろう。惑わされたり立ち止まったり、色々なことがあるだろう。自分自身の価値観だと信じているものが、蓋を開けてきちんと眺めてみたら、実は自分以外の誰かや、何か強大な力から刷り込まれた価値観であったりもするだろう。人の意見に聞く耳を持ちつつ、自分の内なる声に正直で居続けるには、どうしたらいいだろう。

「でも結局自分の人生しか生きられないもんね」
「結局誰も自分の人生の責任なんてとってくれないしね」

そんな風に言い合って、昨日は別れました。
日記のタイトルは、椎名林檎の「おだいじに」より。

友人よ。何気なく放った一言がこんなところで太字にされてますよ。どうだ!ふははは!
ことば 00:35 comments(4)
孤独な鳥
よしもとばななさんの『よしもとばななドットコム見参!』を何気なくぱらぱらとめくっていたら、とても感銘的な言葉に出会いました。

  孤独な鳥の条件は五つある
  第一に孤独な鳥は最も高いところを飛ぶ
  第二に孤独な鳥は同伴者にわずらわされず
  その同類にさえわずらわされない
  第三に孤独な鳥は嘴を空に向ける
  第四に孤独な鳥ははっきりした色をもたない
  第五に孤独な鳥は非常にやさしくうたう


よしもとばななさん自身の言葉なのか、彼女がどこかで出会った言葉なのかはさだかではないですが、彼女自身の「信念」を表しているそうです。胸にしかと受け止めたい言葉だと思いました。


いましめいましめ。
ことば 05:06 comments(3)
偉人の名前で遊んではいけません

ギター少年Hと海浜公園の中を歩いていたときの会話。


私 「この間S公園行ったんだ」

H 「へえS公園か〜。マラソン大会で走ったよーすんごい長い坂走らされてさー」

私 「んーそんな坂あったっけ」

H 「あるよーほんと長くてしんどくてさーあんなとこ走らせるなんてドSだよ!」

私 「ははっ!ドSって!」

H 「ドSだよ〜。ドストエフスキーだよ!」

私 「ははっ!ドストエフスキーって!(爆笑)」

 (違う話題に変わる)

H 「君背中好きでしょ」

私 「はっ!?何そのドストエフスキー発言!」

H 「はは、ドストエフスキー! いや、僕はちがうよ、僕はソフトエフスキーだよ」

私 「ソ、ソフトエフスキー!」


さてあなたはドストエフスキーですか?ソフトエフスキーですか?
それともドストエムスキーですか?ソフトエムスキーですか?
どうでもいいですね、すいません。
ことば 19:28 comments(2)
前置詞とかさあ

ギター少年Hと海沿いを歩いていたときの会話。


H 「ウォッチング・ティーヴィー・ボトム・ザ・シー」

私 「?」

H 「ウォッチング・ティーヴィー・ザ・ボトム…なんていうんだっけ?」

私 「ん?ウォッチング・ティーヴィー・ボトム・オブ・シー?あっ、わかった。ウォッチング・ティーヴィー・アット・ザ・ボトム・オブ・ザ・シーだ!!」

H 「ウォッチング・ティーヴィー……アット・ザ・ボトム・オブ・ザ・シー?」

私 「そうそう!」


  Watching TV at the bottom of the sea.
  訳)海の底でテレビを見ること





私 「で、それがどうかしたの?」

H 「イキじゃね?」
ことば 19:10 comments(2)
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